病みメンタル 今日のアドラーの言葉36(1回目)

恐れ入ります、筆者のゆちきです。
その日その時その瞬間、筆者の病みメンタルで、アドラーの言葉を受け止めて記載していきます。

少し間が開いてしまいましたが、日々アドラーの勉強というか書籍には触れ
自分の中で知識が風化しないように気を付けています。
筆者のメンタルは低水準で安定しているような状態です。

最近ではメンタル疾患で闘病中の方々と知り合い、一緒に病気を乗り越えよう、
実質治るとはされていないため、完治ではなく寛解を目指しましょうと、
これまでは孤独感が多かったのですが、闘病仲間のような存在に心を支えられているような気がします。

参考にしている著書は以下です。

監修  :和田秀樹
タイトル:アドラー100の言葉 なりたい自分になるための心得

著書にまとめられたアドラーの言葉は1~100まであり、ブログの下記ナンバリングと紐づけています。

36.真の勇気は いつも有用な勇気である。

急に勇気とは…と愛や友情や理想の話ではなく、とても現実的なアドラー心理学では
勇気の心理学とも呼ばれるほど、キーワードとなってくる重要な言葉が「勇気」。

いまさら勇気なんてなんか恥ずかしい、大人やメンタル疾患者にとって勇気ってなんなのか
皆さんが想像するよりも数段初歩的な意味合いだと思います。

今からご飯を食べよう、今日はそろそろ寝よう。行動をする前には自己判断を繰り返ししていると思います。
ご飯を食べていない状態から、準備して食べる。また片づけをする。メンタル疾患者だけでなく
行動をするための準備と後始末のことを考えてしまって行動に移せない時はあると思います。
ここでもやはりお腹が空いているから食べよう。その後に片づけようとなる行動の原理の元には
「勇気」
が関係しているのです。インスタント食品ではなく、自炊をしようとハードルを上げた場合は更なる「勇気」が必要です。

そもそも自炊をするのが当たり前、習慣になっている方は、食事に関して勇気など必要ないかも知れませんが、
体調不良の時など少し億劫になってしまう場合もあると思います。それを奮い立させ行動するのが勇気なので、人間のどの行動にも少なからず「勇気」を行使しています。

さて、アドラーさんが仰る、「真の勇気」と「有用な勇気」とはどのような意味なのでしょうか。
無謀な賭けに出るのが勇気ではありません。自らを危険に晒す蛮勇です。

日々の生活の中で、自分を少しでも良くするような行動をするための勇気が、
有用であり、真の勇気なのでしょう。

勇気に関してはアドラー心理学では中核を担うため掘り下げれば、どこまでもそしてまた厳しくもあります。
今後の勇気に対する記述で触れていきたいと思います。

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